関西マラルメ研究会 パリ演劇日誌 2001/2002

par 坂巻康司


はじめに

こ れは2001年の10月から翌年の10月までに主にパリで観ることが出来た、演劇、オペラ、バレエに関する短い批評をまとめたものである。パリで上演され る舞台芸術作品は膨大な数にのぼっており、それらを全て網羅する事は不可能に近い。演劇に関して言えば、今回は幾つかの重要な上演を見逃してしまっている 事を告白せざるを得ない。チェーホフの「かもめ」について言えば、オデオン座でのリュック・ボンディ演出、ブッフ・デュ・ノールでのシュテファヌ・ブラン シュビック演出のものが重大な欠落となってしまった。また、郊外で上演された幾つかの興味深い上演も今回は対象からはずされた。それらは次の機会に扱う事 ができればと考えている。

2001/2002年度のパリの演劇の特徴を一言でまとめるのは難しいが、忘れられた作家の発掘と古典の再解釈が同居した一年だった、と取り敢えず言うこ とができる。前者に当たるのが、ビュヒナーであり、オデオン座での全作上演、コメディー・フランセーズでの「レオンスとレナ」の新解釈は特筆すべき出来事 であった。後者に関しては、クローデル、ピランデルロ、サルトル等の作品が再び真剣な上演の対象になり始めているという印象を受け取った。オペラについて は、巨匠と呼べる指揮者が相次いで亡くなり、それに代わって若手が台頭し始めてきた兆しが感じられるが、まだこれぞという決定的な指揮者は現れていないよ うだ。他方、歌手に関してはアンジェラ・ギオルギュー、ロベルト・アラーニャといった大スターが多くの観客を集め、オペラ座は相変わらずの活況を呈してい る。その反面、演出に関してはいささか平板化の傾向があり、こちらの方はやや気になる状況である。バレエは今回は殆んど観ることが出来なかったので、次の 課題として心に留めておきたい。


≪2001年≫

10月16日(火) ラシーヌ「アンドロマック」
(ダニエル・メスギシュ演出、コメディー・フランセーズ)

  メスギシュによる旧作の再演。ストレーレルを思わせる二組の登場人物の対称化、白い布を使った舞台の装飾などが特に印象に残るが、全体として成功した舞台 とは言いがたい。役者にも魅力が乏しく、これはコメディー・フランセーズの体質によるものかと疑ってしまいたくなる。芝居が途中でたるんでくるのである。 長期にわたって上演する事の弊害がはっきりと現れてしまっている。ラシーヌを演出するのは確かに難しいのだろうが、この舞台ならばまだリュック・ボンディ 演出の「フェードル」の方が遥かに強烈な印象を観客に与えたと思う(2000年、銀座セゾン劇場)。作品の遥か彼方に行こうとしているボンディの演出に対 して、不器用に内側に留まっているという印象を与えるのだ。解釈が内的に処理され、それ以上の深い次元に入っていこうとしないもどかしさを感じさせる。幕 間に入る不快な音楽も必要だったのかと思ってしまう。メスギシュがこの作品を扱いかねているかのような印象を与える演出になってしまった。

Daniel Mesguich(1952−)アルジェ生まれの演出家、俳優。1970年にコンセルヴァトワールに入学し、アントワーヌ・ヴィテーズに学ぶ。1974 年、自身の劇団を設立。1986−1988年にサン・ドニ国立劇場の支配人。1983年からコンセルヴァトワールで教える。彼もまた古典から現代まで幅広 くレパートリーを持ち、しばしば自ら舞台に立つ。事物を象徴的に用いる手法はメスギシュ独特のものであるが、現在ではやや平板化の傾向にある。

Georgio Strehler(1921−1997)バルコラ生まれのイタリアの演出家。死後も幅広い影響力を持ちつづけている、20世紀の最も重要な演出家の一人。 その独特の様式美溢れる舞台はいまも伝説的に語り継がれている。1947年にミラノに自ら率いる劇団ピッコロ・テアトロを設立。1983年から88年まで オデオン-ヨーロッパ劇場の初代支配人を務めた。ゴルドーニ(『避暑地三部作』)を最も得意とするが、チェーホフ(『桜の園』)、コルネイユ(『舞台は 夢』)等の演出も無視しがたい。モーツァルトのオペラ『コシ・ファン・トゥッテ』の演出は死後も上演されている。



10月23日(火) ビュヒナー「レオンスとレナ」
(アンドレ・エンジェル演出、オデオン・ヨーロッパ劇場)

  今シーズンのオデオン座はビュヒナーの全三作を上演する。これはその第一弾だが、素晴らしい舞台であった。まるで漫画のコマのように舞台を額縁で区切り、 一つ一つのエピソードをこまめにまとめていく。エンジェルのその手腕はさすがである。レオンスを演じた役者の何かに取り付かれたような演技。王の狂気じみ た演技と、どれをとっても秀逸なものであった。伴奏音楽が実にこの芝居の寓意的テーマを伝える事に成功している。これは明らかにブレヒトの影響であろう。 様々な点で成功している舞台であるということができるが、しかしビュヒナーがなぜこのようなとぼけた舞台を作ったのか、という根本的な謎はいまだに解明さ れないようだ。あまりにも軽すぎて、本当にこれでいいのかという思いに囚われてしまうのだ。

André Engel(1947−) 60年代後半から活躍するフランスの演出家。J.P.ヴァンサンJean-Pierre Vincent(1942−)の率いるストラスブール国立劇場で様々な実験的演出をし、観客と舞台との関係の変革を試みる。1980‐90年代は現代劇の演出が多いが、オぺラではむしろ古典的な作品に挑んでいる。




10月27日(土) ピランデルロ「作者を探す六人の登場人物」
(エマニュエル・ドマルシ・モタ演出、パリ市立劇場)

  これはこの作品の上演としては最高水準のものではないだろうか。最終日の上演では劇場全体が熱狂に包まれていた。この演出家にとっては大きな飛躍となる舞 台だったのではないだろうか。演出は作品を丁寧に読み込み、それを完全な形で舞台化することに成功した。父親と娘の狂気的な演技は特筆に値するだろう。ま たアッピアを思わせる光と影を多用した照明はこの舞台を実に謎めいたものにする事に成功している。演出家はこの作品を一種の推理劇のようなものにしようと 狙ったかのようだ。二十世紀初頭の時代の暗い雰囲気が見事に舞台に引き出されているとは言える。しかしあえて難癖をつけるならば、全体にまとまりすぎであ る。既に老練の粋に達してしまったかのような演出は幾らかの不満を残す。

Emmanuel Demarcy‐Mota(生年未詳) 劇作家Richard Demarcyとその協力者Teresa Mottaの間に生まれる。いま最も期待される若い演出家の一人。ドマルシ=モタの『作者を探す6人の登場人物』は好評で、2002/2003年のシーズンも市立劇場で再演された。

Adolphe Appia(1862−1928)ジュネーヴ生まれのスイスの演出家、舞台装置家。ワーグナーの楽劇の舞台装置に革命的な変革をもたらす。光と影を多用す るアッピアの舞台装置は独特なものであり、その影響はいまも続く。その著作、メモは全集として出版されている(Oeuvres complètes,6 vols.prévus,l'Age d'homme,Lausanne,1983−)。




11月4日 (日) コピ「ヴェンセスラオの影」(ホルへ・ラヴェリ演出、ロン・ポワン劇場)

  今は亡き劇作家コピと演出家ラヴェリのコンビによる最も新しい(最後の?)作品である。ラヴェリはこの作品でもコピの最良の理解者である事を示した。ラ ヴェリの場面転換のすばやさは見事なものである。一つの場面が終わらないうちに次の場面が開始されるが、それが全く不自然な感じにならない。時には同時に 二つの場面が存在するような時も、作品の象徴性が見事に浮かび上がるように工夫されている。嵐の場面の空間造形は特筆に値するだろう。ラテン・アメリカ出 身の俳優のもつ荒々しさがフランスの演劇にはない空気を生み出している。主演俳優とその娘役の女優は殆んど狂気的なレベルにまで達しており、観客に強烈な 印象を残さずにはいないであろう。社会情勢も巧みに織り込んでいるが、何よりも一人の破天荒な人間の生き方、あり方というものを魅力的に描く事に全ての神 経が注がれたという感じである。

Copi(1939−1987)アルゼ ンチン生まれの劇作家。その多くの作品は同郷のホルへ・ラヴェリJorge Lavelli(1932−)の演出で上演されている(1966年『浴槽の聖ジュヌヴィエーヴ』、1967年『夢想者の一日』、1973年『ホモセクシャ ルあるいは語ることの難しさ』、1974年『四つ子』、1985年『リュシエンヌ夫人の夜』、1988年『時ならぬ訪問』)。




11月11日 (日)クローデル「黄金の頭」
                (クロード・ブシュバルト演出、ブッフ・デュ・ノール)

  これは実に美しい舞台であった。演出家はパリ第8大学の教授。大げさな舞台装置は用いず、人物の声と素材だけで演劇を成立させてしまう。この劇場は特に声 が響く。特に王女と「黄金の頭」の響き渡る声は素晴らしかった。クローデルにおける声の重要性というものをはっきりと認識させてくれる。また、照明を極度 に押さえる事によって、この作品の象徴性が高められ、最後に光の中に包まれる王女の至高性を現出する事に成功したと言うことができよう。しかしこれはやは り原作のもつ力強さも無視できないであろう。クローデルはこのようなバロック的な悲劇を信じがたいほどの強度で現代に再生したといえる。クローデルは現代 に確かに失われてしまった、恐らくかつては確かに存在しえたであろう「聖性」というものを、真の意味で理解しえた最後の劇作家かもしれない。ある意味でラ シーヌよりも十七世紀的な劇かもしれないこの作品が現代でも不可思議な重みを持つように感じられるのは、劇作家が最後まで持続しえたその霊的な感性による ものとしか思えない。我々がクローデルのこの感性をどこまで信じられるかにこの作品の理解はかかっている。




11月14日 (水) ルイ・ジューベを巡るシンポジウム(新国立図書館)

  「エルヴィール、ジューベ40」という映画の上演のあと、ロベール・アビラシェッド、ダニエル・メスギシュ、フランソワ・ルニョーによる鼎談が行なわれ た。映画は「ドン・ジョアン」の上演を控えたジューベと俳優らによる七つのレッスンで構成されている。監督はブノワ・ジャコー。エルヴィールを演じる若い 女優の演技に対して絶対に肯定的な態度を見せない頑ななジューベの姿勢を映画は良く捉えている。一方、解説の方は当初予定されていたポール・ルイ・ミニョ ンが先月亡くなり、映画の元になった芝居の演出家ブリジット・ジャックも欠席となったのでややさびしい雰囲気になってしまった。映画のなかのジューベの演 出については三者から三様の意見が出された。ルニョーは「映画ではジューベがまるで役者をもて遊んでいるかのような印象を与えるが、これは正しくない」と いうことを指摘した。アビラシェッドは「ジューベは決してたどり着かない所に向かって行こうとする精神の持ち主である事をこの映画が良く捉えている」と発 言。最も興味深かったのはメスギシュの発言で、ジューベは役柄を俳優に説明する時に「この人物はこういう人である」という具合に説明していくが、こうした 本質主義は全く好きになれないということ。それと反対に「いまから作り出そう」という具合に自由な創造性にうったえる姿勢は素晴らしいと思えること。この 二つの全く相反する傾向をジューベの演出というものは持っている、というメスギシュの指摘には他の二人も納得していた。

Robert Abirached(1930−)演劇理論家。長くパリ第10大学(ナンテール)演劇学科教授を務めた。主著、『近代演劇における登場人物の危機』La Crise de personnage dans le théâtre moderne(1975)は、<登場人物の解体>という現象を古代演劇から現代劇までの歴史を射程に入れて、事細かに分析を試みた画期的な論考である。

François Regnault(生年未詳) 現在、パリ第8大学精神分析学科で教鞭をとる演劇研究者。現場ではブリジット・ジャック等の演出家と協力している。多くの著作がある。

Benoit Jacquot(1947−)パリ生まれのフランスの映画監督。ヌーヴェル・ヴァーグの次の世代の映画作家だが、作風はむしろ古典的なものである。近作にTosca(2001)(邦題『トスカ』)、Adolphe(2002)(邦題『イザベル・アジャーニの惑い』)などがある。

Paul‐Louis Mignon(?−2001) 20世紀演劇史研究者。演劇ジャーナリスト。長く新聞、雑誌の劇評を担当した。現代演劇史に関する著作ばかりでなく、多くの演劇人の評伝を残した。主著に『ジャック・コポー』Jacques Copeau(Jelliard,1993)がある。




12月6日 (木) シンポジウム「現代の劇作術(1980-2000)」(パリ第3大学)

  パリ第3大学教授ジャン・ピエール・サラザック、ジャン・ピエール・ランガールの主宰で現代演劇の劇作術に関するシンポジウムがソルボンヌで開かれた。今 回、聞くことが出来たのはカン大学の研究者によるジャン・クリストフ・バイイについての発表とストラスブール大学の研究者によるハイナー・ミューラーの 「ハムレット・マシーン」に関する発表である。いずれも若い女性の研究者であり、演劇研究者も世代交代を迎えつつあるという印象を与えた。後者は一見「断 片的」であるハイナー・ミューラーのテクストに統一的な構造があるということを示そうとした意欲的な発表であり、会場からも様々な意見が出された。ミュー ラーのテクストの構造は「フラグマン(断片)」と言う代わりに「フラクタル」と言うべきではないかなどという提案に対しては同意を得るのは難しかったよう である。現代演劇作品の「断片性」に対して多くの研究者が関心を示しているということが分かったが、それをどのように処理すべきかという事になるといまだ 手探りの状態のようである。

Jean‐Pierre Sarrazac(1941−)劇作家、演劇研究者。パリ第3大学演劇研究所の指導的立場にある。ベルナール・ドルトBeranrd Dort(1929−1994)のもとで演劇理論を学び、ドイツの理論家ペーター・ションディPeter Szondi(1929−1971)の<ドラマの危機>理論を批判的に受け継ぎ、独自の理論を構築している。戯曲以外の主著に『ドラマの未来』L'Avenir du drame(L'Aire,1981)がある。ベルギー・ルーヴァン大学と共同で演劇雑誌Etudes théâtralesを刊行。数多くの国際コロックを主宰している。

Jean‐Pierre Ryngaert(生年未詳) サラザックと共にパリ第3大学の教壇に立ち、現代演劇を講じる。主著『現代演劇を読む』Lire le théâtre contemporain(Dunot,1993)は入門書ながら、簡潔に現代演劇の特徴を纏めた優れた著作である。

Jean‐Cristophe Bailly(1949−) 詩人、劇作家。バイイは演出家ラヴォーダンとの共同作業(『光・―廃墟の側で―』、『光・―木々の元で―』、1995年)でも知られている。哲学者ジャン・リュック・ナンシーJean‐Luc Nancy(1940−)との共著もある。

Heiner Müller(1929−1995)20世紀ドイツ最大の劇作家。その著作は『ハイナ―・ミュラー・テクスト集成』1〜3巻(岩淵達治他訳、未来社)として翻訳刊行されている。



12月8日 (土) ビュヒナー「ヴォイツェック」
(ボブ・ウィルソン演出、オデオン・ヨーロッパ劇場)

  この上演のあまりの衝撃の大きさゆえ、アンドレ・エンジェルとラヴェリの舞台がかすんでしまった。それほどこの舞台は画期的であったと言えよう。セリフを 聞かなければこれが「ヴォイツェック」であるとは誰も気付かないであろう。作品は換骨奪胎され全く新しい作品に生まれ変わった。音楽がトム・ウェイツの所 為もあるが、これはまるで「ストレンジャー・ザン・パラダイス」である。照明の見事さはパリの他の舞台を明らかに凌駕している。この色彩感覚はなぜか六十 年代の唐十郎の舞台を思わせると感じたのは私だけだろうか。原色を多用した鮮やかな色彩はヨーロッパ的ではない、アジア的なものを醸し出そうとしているか のようだ。派手な色彩と音楽が悪趣味に堕す寸前のところで踏みとどまっている、信じがたいほど魅惑的な舞台である。ただ、この作品の持つ政治性がぼかされ てしまった事も否めない事実である。

Robert Wilson(1941−)テキサス州ワコ生まれ。現代の最も著名な演出家の一人。アメリカ出身だがヨーロッパで目覚しく活躍している。極めて簡素な舞台 装置と鮮やかな色彩感覚を特徴とする。近作にハイナー・ミューラーと組んだ『ハムレット・マシーン』(1988)、イザベル・ユペールIsabelle Huppert(1955−)を主演にしたV.ウルフの『オーランドー』(1994)などがあり、常に話題を集める演出家である。




12月11日 (火) メーテルランク「王女マレーヌ」
(イヴ・ボーヌズヌ演出、コリーヌ国立劇場)

  これは明らかな失敗作である。前半はかなりいい雰囲気を醸し出していたのにもかかわらず、後半のマレーヌ王女暗殺の場面がひどすぎた。象徴主義の作品に突 然リアリズムを持ち込んだために全く訳の分からない作品となってしまった。演出家は一体何を考えているのかと首を傾げたくなる。一番最後に殺されたはずの マレーヌが踊りだす場面には絶望的な気分になった。これでは単にマレーヌが生きている間は抑圧されていたというだけの話になってしまうではないか。幾つか 幻想的で魅力のある場面があるものの、統一感のない演出のために作品自体が壊されてしまった。実に悔やまれる舞台である。唯一評価できる点は忘れられてい た作品を上演したということだろう。貴重な試みである事には変わりはない。

Maurice Maeterlink(1862‐1949)の処女戯曲。象徴主義演劇の登場を決定的に印象付け、当時の観客を驚愕させた作品。なお、この作品に関しては 拙稿「メーテルランクの初期戯曲におけるマラルメ的演劇観」(『早稲田大学演劇研究センター紀要』第IV号、早稲田大学演劇博物館、2005年1月)も参 照されたい。




12月15日 (土) クローデル「マリアへのお告げ」
(マシュー・ジョスラン演出、アテネ座)

  アテネ座は今年度は全てルイ・ジューベが演出した作品を上演している。「女学校」に続いてクローデルの作品が選ばれた。演出家はパトリス・シェローのアシ スタントをしていたようだ。主人公達の後ろに五人ほどの合唱隊が陣取り、芝居の合間に歌で絡んでくる。鐘の音などの効果音も合唱隊が全て引き受けている。 最初は異様な雰囲気がしたが、慣れるとそうでもなくなった。確かにこの作品をテクストの力だけで支えるのは難しいかもしれない。しかしそれを差し引いて も、役者がこの奇跡的なテクストを支えるには力不足という気がした。わずかに後半のヴィオレーヌとマラの再会の場面だけが、テクストの持つ力強さを体現し ていたにとどまった。幕間にヴィオレーヌが舞台に立ち続けているのも必要だったのかと思う。様々な工夫を凝らしているにも変わらず、クローデルのテクスト の深みには到底辿り着いていないような印象を与えた。

Patrice Chéreau(1944−)レジネ生まれ。現代フランスを代表する演出家。1976年バイロイト音楽祭でのワーグナー『ニーベルングの指輪』の演出で大 センセーションを巻き起こす。その他、ベルクの『ルル』(1979)、イプセンの『ペールギュント』(1981)でも話題をさらい、1980年代は支配人 を務めたナンテール・アマンディエ劇場でベルナール=マリー・コルテスBernard- Marie Koltès(1948‐1989)の作品を積極的に上演した。




12月24日 (月) フォーキン、ニジンスキー、ロビンス、リー
(パリ・オペラ座バレエ団、ガルニエ・オペラ)

  四人の演出家によって産み出されたバレエ作品(フォーキン演出によるストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」、ニジンスキー、ロビンス演出によるドビュッ シー「牧神の午後」、リー演出によるリムスキー・コルサコフ「シェエラザーデ」)の競演である。それにしても、やはりガルニエ・オペラ座で見るバレエは一 味違う。雰囲気がまるで20世紀初頭のような華やいだものを持っている。そうした中で特に「牧神の午後」の二つのバージョンを見ることが出来たのは幸いで あった。ニジンスキー版(1912年)は既に歴史的な価値しかないが、ロビンス版(1953年)の透徹した美しさは今後も上演されつづけていくに足るもの を持っている。ロビンスは牧神を現代のバレー教室に通うダンサーに設定し、ニンフを彼の見た白日夢として描く。この演出は初演から既に五十年を経ているも のだが、まるで現代作品のように新鮮に見える。加えてパリ・オペラ座管弦楽団のドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」も素晴らしい演奏であった。他の二 つ、「シエラザーデ」と「ペトルーシュカ」もクリスマスらしい賑やかさを表現していた。しかしオペラ座バレエ団の本当の実力はこんなものではないだろう。




12月25日 (火) プッチーニ「ラ・ボエーム」
(ジョナサン・ミラー演出、ステファヌ・ドゥネーブ指揮パリ・オペラ座管弦楽団、バスチーユ・オペラ)

  これはオペラ座の作品としてはあまり出来のいい方の部類には入らないだろう。主役の二人の歌手(ヴィンセンツォ・ラ・スコラ、エレーナ・ケレシディ)の声 がいくらなんでも響かなすぎる。劇場の大きさの問題もあるのかもしれないが、これではこの強烈にロマン主義的な話を引っ張っていく事は出来まい。リアリズ ムに徹した装置はそれはそれでなかなかいい雰囲気を出していた。この上演での最も優れた成果は舞台装置にあったことは間違いない。カサンドルのポスターな どが印象的に使われ、時代の空気を髣髴とさせる事に成功している。しかしながら、こうした作品をリアリズムで上演する事の意義こそが問われなければならな いのだ。そうした意味からすると演出に関しては全く深い思索の後が見られないため、残念ながら全体的に見て凡庸な舞台に仕上がってしまった。




≪2002年≫
1月19日 (日) ユーゴー「リュイ・ブラス」
(ブリジット・ジャック演出、コメディ・フランセーズ)

  「エルヴィール、ジューベ四〇」で一躍名を馳せたブリジット・ジャックの演出ということで、期待して観に出かけたが残念ながら凡庸な演出に終始した。一体 何が不足しているのだろうか。ブリジット・ジャックはそこここで原作から現代性を引き出そうとするのだが、なんとも展開が重苦しい。話が前に進んでいくと いう感じではないのだ。舞台は一つのところで緩い回転をするばかりという印象を与えた。唯一、四幕目のコミカルな場面が作品にスピード感を与えたが、それ とて作品全体を救うには短すぎた。リュイ・ブラス役の俳優も熱演だが、説得力に乏しい。ユーゴーの原作そのものにも大きな問題があるという気がする。この 作品が初演当時は持っていた「ドラマ」という概念が、その後大きく変わってしまったような気がする。これでは現代の観客はついて行くことが出来ないのだ。 この、前時代的な作品を現代に蘇生することは不可能なのだろうか。

Brigitte Jacques(1946−)スイス生まれの女優、演出家。ヴィテーズのもとで演劇を学ぶ。ヴェデキントFrank Wedekind(1864−1918)の作品の演出で演出家としてのキャリアを開始。1976年、F.ルニョーと共に劇団パンドラを設立。現代劇(D. サルナーヴ、P.クロソフスキー)から古典(マリヴォー、ディケンズ、コルネイユ)まで幅広いレパートリーを持つ。1991−97年の間、ルニョーと共に オーベルヴィリエ公共劇場の支配人の地位にあった。




2月2日 (土) チャーチル「ファー・アウェイ」
(ピーター・ブルック演出、ブッフ・デュ・ノール)

  ブルック演出の最新作ということで期待して出かけていったが、肩透かしを食らったような気分である。芝居自体は約50分。いくらなんでも短すぎる。母と会 話をする少女。その少女が成長し、帽子屋で修行をする。娘が結婚した相手と母との対話。そして再び娘が登場して話は終わる。劇的展開は一切ない。その間、 外の世界では大きな変動があるらしいが、それが家族の世界に直接介入してくる事はない。世界から閉ざされた中で展開していく、どこにでもある話という感じ だろうか。ここには確かに平凡さが持つ恐ろしさというものはある。しかし、それがどうしても観客に伝わってこない。よく言えば洒落ていると言えなくもない のだけれど、洗練されすぎていて芝居としての充実感がまったくないものになってしまった。ブルックとしては大きな実験だったのかもしれないが、これは成功 だったとは言い難いのではないだろうか。

Peter Brook(1925−)ロンドン生まれのイギリスの演出家。このあまりにも有名な人物に関しては贅言を要さないだろう。1970年代初めからパリに定 住、「国際演劇研究センター」CIRT(後にCICT)を設立。1974年からブッフ・デュ・ノールを本拠地にする。1985年のアヴィニョン演劇祭では 古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』を上演し、世界的な反響を巻き起こした。『何もない空間』(The Empty Space,Mac Gibbon and Kee Ltd.,Londres,1968)など幾つかの著作がある。




2月23日 (土) モリエール「アンフィトリオン」
(アナトリー・ヴァシリーエフ演出、コメディ・フランセーズ)

  ヴァシリーエフ演出の新作である。何よりも印象的なのは衣装と装置であろう。衣装はまるで古代の卑弥呼の時代の日本風のもののようである。使われる小物も 日本の伝統芸能から借用したものが多い。二本の竹に大きな布をつけて天井近くまで待ち上げて二度、三度と回したりする動きは、確かに視覚的には美しかっ た。それと対照的なのが宇宙基地のような円形の建物で、登場人物たちはその上部からぶら下がる綱を手に握り、その周囲をぐるぐると回転しながら対話をする 事が多かった。このような視覚的な工夫にもかかわらず芝居自体は遅々として進まないという印象を残した。わずかに三幕のみが異様に軽い展開を見せ、観客か ら笑いを取ったけれどもそれとて時、既に遅しである。絶賛している観客もいるにはいたが、私にはこの軽さは一種の演出放棄にも見えた。確かに役者の配置に は一時の天井桟敷を思わせる奇抜さはあったが、そうしたものがこの作品自体の表象にいかなる効果を上げているのかはもう一度吟味してみないと分からないと いう感じである。奇妙な印象を残した舞台であった。

Anatoli Vassiliev(Vasil'ev)(1942−)ロシアの演出家、テレビ番組のディレクター。70年代はロシアで活躍していたが、ペレストロイカ 後、フランスに進出。1988年に『作者を探す6人の登場人物』を上演した。それ以後、世界各地で活躍。『アンフィトリオン』は1996年の制作で、翌年 アヴィニョン演劇祭でも上演している。




2月28日 (木) サルトル「悪魔と神」(ダニエル・メスギシュ演出、アテネ座)

  この作品でメスギシュという演出家の底力を見たという気がした。この形而上学的な主題をこれほどの緊密さとしなやかさを持って描き出す事ができるのは彼し かいないのかもしれない。三時間半に及ぶ上演時間が全く長く感じられなかった。サルトルの作品が古典になった、すなわち何度でも上演するに値する作品であ るということを強く印象付ける上演であった。この演出の前には実存主義が廃れたかどうかということは問題にならない。ここには本物の作品だけが持つ粘り強 さがある。そして観客はそれにいやでも引き込まれざるを得ない。サルトルによって投げかけられる問いは少しも古びることなく、まさに現代の問いとなって我 々の前に立ちふさがる。まさにそうした事を強く印象付ける舞台である。装置も素晴らしく、そのなかでも教会の場面の照明の美しさは特筆に値するだろう。サ ルトルはまさに現代の作家である。メスギシュが現代の演出家であるのと同様に。




3月10日(水) モリエール「病は気から」
(クロード・ストラーツ演出、コメディ・フランセーズ)

  これは今シーズンのコメディ・フランセーズのレパートリーの中でも出色の出来ではないだろうか。装置、照明、音響、演出のいずれをとっても素晴らしい。特 に音響に関しては細心の注意を払っているという印象を与えた。クロード・ストラーツの演出は現在のこの劇場で出切る限界の所まで到達しているといえる。古 楽器を演奏するミュージシャンや、合唱を奏でながら迫ってくる一群の道化的登場人物など、この舞台を彩った脇の登場人物は大変興味深かった。モリエールの この劇自体はどうということのない喜劇なのだけれど、こうしたものの効果でこの作品は全く充実した舞台へと変貌している。本当に古典とはいくらでも解釈し なおせるしなやかさを持ったものなのだということを考えさせられる舞台であった。どうやら主人公を演じた役者が三月末からマチアス・ラングホフ演出の「レ ンツ、レオンスとレナ」でも王の役を演じるらしい。彼はコメディ・フランセーズの男優の中で、いま喜劇に最もふさわしい役者のかもしれない。




3月23日(土) モリエール「ドン・ジュアン」
(ダニエル・メスギシュ演出、アテネ座)

  メスギシュが自分で演じると芝居の緊張度が全く変わる。実際この芝居はメスギシュなしでは考えられないであろう。それほど彼の存在感は大きかった。ただ、 彼の演ずるドン・ジュアンは官能的と言うよりも、知的である。その為にドン・ジュアンの内面というものの表現が従来よりも要求されるように思えたが、それ を表現するのは難しかったようだ。後半に行くに従い、ドン・ジュアンの怪物性が萎んでしまうように思えたのは惜しい。いずれにしても、これは出色の舞台で ある。石像を女性の肉体によって表現したのは新解釈であると思えるし(白塗りの三人の女性が動き出すという設定)、極度にコミカルなスガナレルが芝居全体 のテンポを小気味良いものにしている。やはりメスギシュの演出は一味違うと思わされるのである。さて、このあとにコメディ・フランセーズでこの作品を演出 するラサールはいかなる演出を仕掛けてくるのだろうか。




4月1日 (月) サルトル「出口なし」(ロベール・オッセン演出、マリニー劇場)

  マリニー劇場は演出家兼俳優のロベール・オッセンが芸術監督を務める劇場である。商業演劇が主体の彼がサルトルをやるというので観に出かけたが、不満の残 る舞台であった。この上演を観ると、サルトルは根本的に演劇が身体によるものであるということを否定しているかのように感じる。しかし本当にそうなのか。 サルトルにおける演劇性と身体性の否定という問題は、改めて吟味されなければならない問題であろう。オッセンはそのようなこの作品が持つ根本的な陥穽には 注意を払わず、テクストをそのまま舞台化するという方法を取った。この作品が観客に何らかの感動を与えたとしたら、それはサルトルのテクストの力によるも のであり、上演によってではない事は明らかである。また、オッセンの声がもう劇場では響かなくなってしまっている事も実に残念な気がした。こうした上演と 比較してみると、メスギシュの才能が一層際立ってくるというのは皮肉な感じがする。




4月19日(金)リヒャルト・シュトラウス「アラべラ」(ペーター・ミュスバッハ演出、C.V.ドホナーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団、シャトレ劇場)

 昨年11月にもリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」をウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏でシャンゼリゼ劇場で聴いたが、それは演奏会形式だったのでここには記さなかった。今度はオペラ形式による上演である。

 まずは歌手陣と管弦楽の圧倒的な素晴らしさについて書かねばならないだろう。バーバラ・ボニーが妹のズデンカ役なので、主役のアラベラを食ってしまうの ではないかと思われたが杞憂だった。アラベラを歌ったカティーラ・マッティラは堂々たるもので、豊かな声量と艶のある歌声で観客を魅了した。これは期待で きる歌手が現れたという感じである。相手役もトーマス・ハンプソンで、主役二人を引き立てながら十分に実力を示したと言えるだろう。フィルハーモニア管弦 楽団は細部に到るまで完璧な演奏を成し遂げており、オペラの演奏としては最高水準のものを披露してくれた。これはドホナーニの統率力の賜物といえるだろ う。

 エリック・ヴォンデルの装置は未来派的なものであったが、少しの違和感もなかった。問題はやはりこの作品自体にある。この作品の初演は1932年。ドイ ツが翌年にはヒトラーが政権を握るという年である。あらすじを読んだだけならばなかなか面白いと思えるこの話が、いざ上演されるとなんとももどかしい感じ を与える。特に第三幕は悲惨なほどドラマの展開が鈍い。二十年以上に渡って続いたホーフマンスタールの台本とR.シュトラウスの音楽による共同作業はここ において明らかに限界に達した、ということがこの作品を観るとはっきり分かるだろう。もはやオペラは観客に見せるべき物語を完全に失ってしまい、果てしの ない自己模倣を続けるしかなくなってしまったかのようだ。劇的感動などというものはこの作品からは望むべくもない。オペラは実質的にはこの作品を持って終 わったのかもしれない。祝祭がもはや祝祭の残滓にしかなり得ない、という事を思わず感じてしまう寂しさの漂う作品であった。



 
4月21日 (日) ビュヒナー「レンツ、レオンスとレナ」
(マチアス・ラングホフ演出、コメディー・フランセーズ)

  この日は大統領選挙の第一回投票日の夜ということもあり、観客が異様に少なかった。しかし上演が進むに連れてこの観客の少なさのもう一つの理由が理解でき るようになった。普通の芝居を期待していた観客にとっては耐えられない上演だっただろう。途中退場するものも少なからずいた。この劇場としては記録的に少 ない観客動員数となりそうな予感がする。それにしても、「レオンスとレナ」という芝居を知らない観客にとって、今回の新演出は理解し難いものだったのでは ないだろうか。ラングホフは大胆にもビャヒナーの書いた未刊の評伝を戯曲の中に組み込むという方法を取った。そのため芝居は錯綜を極め、作品自体が解体さ れる結果となった。一方で確かにドラマを展開していこうという動きがありながらも、他方で非常に大きな力でドラマを破壊しようという重力が舞台を占め、果 てしなく作品を蹂躙していく。この破壊のエネルギーを受け止めるにはかなりの忍耐力が要求されると思われた。しかしながら、「レオンスとレナ」がまったく 別の文脈の中に置かれることとなったのは興味深い結果である。レンツの評伝と「レオンスとレナ」の並行的な関係を示す事により、ビュヒナーの隠された批評 眼、歴史観を炙り出す事に成功しているとは言える。しかしもう少し簡潔にならないものかとこちらとしては思ったりするが。

Matthias Langhoff(1941−)チューリヒ生まれのドイツの演出家。1961年にベルリナー・アンサンブルに入り、演劇活動を開始。その後、ヨーロッパ各 地の劇場を渡り歩く。20年間の同士となるマンフレッド・カルゲManfred Karge(1939−)と共にブレヒト、チェーホフ(『桜の園』)、クライスト(『ホンブルク王子』)、シラー(『群盗』)、ゲーテ(『市民』)等を上 演。その後もシェークスピアから現代劇まで幅広いレパートリーを演出。カルゲと共に<反精神主義>の舞台を目指すと言われている。




5月1日(土) モリエール「ドン・ジュアン」
(ジャック・ラサール演出、コメディ・フランセーズ)

  これは実に美しい舞台であった。装置がリュック・ボンディーの「フェードル」を手がけているリュディ・サブーンジ。静謐な、という形容詞がこれ以上当ては まるものはないだろうと思われる程、視覚的な美しさを徹底的に追求した舞台である。鮮やかな色彩と光と闇の織り成す世界に観客は幻惑されずにはいられな い。一方、ラサールの演出は手堅く、ひたすら役者の言葉の力だけで作品を引っ張っていこうとする。余計な効果音や音楽は極力排して、舞台上にはモリエール の言葉だけが反響するような仕組みである。ラサールがコポーから始まる正統的なフランス演劇の継承者であるということを強く印象付ける舞台となった。主人 公を演じたアンジェイ・スヴェリンはまさにはまり役であり、冷静沈着でありながらこの上なく官能的なドン・ジュアンを現出する事に成功している。こうした 「ドン・ジュアン」を観てしまうと、ダニエル・メスギシュの演出の方が装飾過多に見えてきてしまうから不思議である。実に充実した舞台であった。

Jacques  Lasalle(1936−) 演出家。1967年に自身の劇団を設立。1983年、ストラスブール国立劇場の総監督に就任。1990‐93年、コメ ディー・フランセーズの総支配人。マリヴォー、ゴルドーニ、モリエール、サロートなどを演出。その後コンセルヴァトワールの教授に就任。均整の取れた舞台 は圧倒的支持を得、近年もその演出活動は全く衰えることを知らない。『ドン・ジュアン』は1993年のアヴィニョン演劇祭のために制作されたもので、 1994年、2001/2001年も再演され、2004年3月現在、フランス各地を巡回中である。

Luc Bondy(1948−)チューリヒ生まれの演出家。ドイツ、フランス、ベルギーで活躍する。古典(シェークスピア、ゲーテ)から現代劇(ジュネ、イオネ スコ、ゴンブロヴィッチ、ベケット、ボート・シュトラウス)まで幅広いレパートリーを持つ。またオペラの演出もしばしばする。




5月13日(月)ビュヒナー「ダントンの死」
(ジョルジュ・ラヴォーダン演出、オデオン・ヨーロッパ劇場)

  ラヴォーダンはあまりにも禁欲的な舞台を目指しすぎたという気がする。かつては派手な色彩とテキストのコラージュで一大スキャンダルを巻き起こしたという ラヴォーダンの演出は、ここに来て道を模索しているようである。大革命という時代と状況の持つ緊迫感というものが全く伝わってこなかった。これは恐らく恣 意的に選択されたものなのだと思うが、その理由が分からない。「恐怖」を完全に舞台から排除してしまったのは何故なのか。工場の中で次から次へと死体が作 られていくかのようにギロチン台に送られていく人々。それがもはや日常的光景と化してしまっているという事を示そうとしたのだろうか。舞台にはむしろ倦怠 のようなものが漂っていた。一言で言うと締まりがないのだ。加えて、ダントンを演じた役者に魅力がなさ過ぎた。これでは観客が感情移入することは出来ま い。期待された舞台であったが、仕上がりとしては平均を下回るものになってしまったようだ。これを観るとロメールの映画「イギリス女性と公爵」が遥かに素 晴らしいものに思えてくるから不思議である。

George Lavaudant(1947‐)60年代から活躍する劇作家。80年代にテキストをコラージュする形式の演出方法で大スキャンダルを巻き起こした。 1976年にアルプ国立演劇センター、1986年にヴィルーバーヌ国立民衆劇場の共同支配人に就任。1996年から2001年までオデオン・ヨーロッパ劇 場の支配人。ブレヒト劇の演出で特に知られる。80年代のラヴォーダンについては佐伯隆幸『最終演劇への誘惑』(1987年、剄草書房)所収論文「風景の 進駐―ジョルジュ・ラヴォーダン」が参考になる。




5月18日(土)ジュネ「屏風」
(フレデリック・フィッシュバック演出、コリーヌ国立劇場)

  前半はなかなかいい味を出していたにもかかわらず、後半に至って芝居は壊滅してしまった。こうなるともう演劇と呼ぶ事は出来まい。スクリーンに人形の映像 を長々と映すのは一体どういう神経なのかと思ってしまう。観客は演劇を観に来ているのであって、映画を観に来ているのではないのだ。こういう基本的なこと が分かっていない演出家だから、やる事は殆んど行き当たりばったりである。日本から参加した人形劇の一座である結城座が健闘しているだけに、この演出家の やりたい放題振りには腹が立ってきた。人形とその声を担当した二人の男女以外はほとんど観るべきものがなかった。演出家の実験にジュネのテクストが濫用さ れただけという印象が残った。

Frédéric Fisbach(1966−)俳優、演出家。コンセルヴァトワールを卒業後、ジェラール・フィリップ劇場に俳優として所属。1994年よりナンテール・ア マンディエ劇場で自作やクローデル、カフカ、ストリンドベリなどの作品を上演。なお、『屏風』は2003年には日本でも上演されている(世田谷パブリック シアター)。




5月21日(火)ワーグナー「さまよえるオランダ人」(ウイリー・デッカー演出、ダニエル・クライナー指揮パリ・オペラ座管弦楽団、バスチーユ・オペラ)

  ワーグナーの初期オペラであり、作劇上は見るところはないが、ウォルフガング・ギュスマンの装置とハンス・トールステードの照明は実に美しい舞台を作り上 げていた。これはアッピア的というよりも、ヴィーラント的と言うべきなのだろうか。光の強弱の変化が実に見事であり、これほど細心の注意を払って実現され ている舞台も稀なのではないだろうか。加えてゼンタとオランダ人も今が一番乗っているという充実した声を披露してくれた。最も期待以上であったのはオペラ 座管弦楽団であり、これほど重量感のあるワーグナーの音をオペラ座管から引き出したクライナーの指揮は特筆に値する。加えて男声合唱陣が整った声を聴か せ、舞台に厚みを持たせるのに成功している。オペラ座のレパートリーとしてはまずまずの出来と言えるのではないだろうか。




6月16日(日)シェークスピア「真夏の夜の夢」
(ヤニス・ココス演出・セノグラフィー・衣装、ナンテール・アマンディエ劇場)

  ヤニス・ココスの舞台は幻惑的な舞台だ。派手なセノグラフィーを使っているわけではないのに夢幻的な世界を立ち所に作り出してしまう才能は並みのものでは ない。まさにこの上演自体が真夏の夜に見た夢のような、いつまでも忘れられない不可思議な記憶を観客の脳裏に刻みつけるものであった。巨大な壁を森の形に 切り取りそこから様々な仕掛けを使って光を舞台上に導入する方法は、照明の強弱と色彩の巧みさと相まって実に見事である。これはまさにセノグラフィーが演 出の中心になった舞台の典型といえよう。装置と照明と衣装が先にあり、そこから芝居が作られていくという順序だ。こうした方法もこのような作品に関しては 最大限の効果を生み出すということが確認されたような気がする。加えてほとんど「奇怪な」という形容詞をつけてもいいパックの演技は特筆に値するだろう。 これほど野卑に演じられたこの役は稀なのではないだろうか。



 
6月20日(木)ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」(コリーヌ・セロー演出、ブルーノ・カンパネッラ指揮パリ・オペラ座管弦楽団、バスチーユ・オペラ)

  これは何を措いても装置が素晴らしい。ジャン・マルク・ステレとアントワーヌ・フォンテーヌは信じがたいほど精緻で魅惑的な舞台をこしらえた。舞台はスペ インというよりもアラビア風であるが、それが恐ろしくこの芝居の雰囲気を伝えるのに成功している。コリーヌ・セローは映画監督としての演出よりも、舞台の 演出の方がいいのではないかと思わせるくらい役者の演技を掌中に納めていた。特にロジーナが主人公の不実を疑い部屋の中のものを全てひっくり返す場面など は、激情的でありつつもなお美しさを保っている。歌手陣もなかなかの力量を示していたので、今年度のオペラ座の上演としてはかなりの高水準のものになった といえよう。




6月30日(日)チェーホフ「かもめ」
(フィリップ・カルヴァリオ演出、ブッフ・デュ・ノール)

  アンドレ・エンジェル演出のビュヒナー「レオンスとレナ」でレオンスを演じたP.カルヴァリオが演出と主演をした舞台。しかし「レオンスとレナ」に比べて 彼も精彩がなかった。恐らく彼はまだ経験が浅いのだと思うが、この舞台に関して言えば余りにも多くのものを詰め込みすぎているのではないだろうか。冒頭に いきなり大音響でローリング・ストーンズの「サティスファクション」を歌って踊って披露する。衝撃的な始まりであるが、これは本当に必要なものなのか。舞 台全体を覆う「オーバー・ザ・レインボー」のテーマにしても、余りにも「かもめ」という作品から離れすぎているのではないだろうか。役者が突然踊りだすと いう指向はアメリカのテレビドラマの影響だろう。しかしこれでは中途半端なミュージカルにしかなりえない気がする。意欲的であることは認めるとしても、こ れが「かもめ」という作品に本当に貢献する事になったのかどうかは疑わしい。もちろん装置が丹念に作られていて視覚的には観るべきところがあったというこ とを付け加えなければならないが・・・。




7月9日 (火) ビゼー「カルメン」(アルフレッド・アリアス演出、ジェズス・ロペス・コボス指揮パリ・オペラ座管弦楽団、バスチーユ・オペラ)

  当初予定されていたロベルト・アラーニャのホセ役がリチャード・リーチに代わったのは実に残念だったが、リーチはなかなかの健闘振りを見せてくれた。問題 はカルメンである。彼女の声は音程に問題があり、聞き苦しく感じた人も多いだろう。彼女が果たしてファム・ファタルを演ずるに足りる十分な魅力を出してい たかどうかもかなり疑問が残った。装置がこれまた中途半端な出来で、観客席と平行に走る鉄格子など空間的な処理に多くの問題を抱えている。しかしエスカ ミーリョの「闘牛士の歌」などは実に見事な出来であったため、幾つか問題点を抱えながらもこの舞台は何とか終幕を迎えることが出来た、と言った所だろう か。




7月15日(月)〜18日(木)アヴィニョン演劇祭

15日(月)
「私はアントナン・アルトー」OFF(テアトル・ドゥ・ラ・カバル)

16日(火)
ロベルト・シュナイダー「汚れ」OFF(モニ・グレコ演出)
コルネイユ「舞台は夢」OFF(ブリュイ・ド・クール)
ロドリゴ・ガルシア「プロメテオ」IN(フランソワ・べラー演出)
ブレヒト「ガリレイの生涯」IN(ジャン・フランソワ・シュヴァディエ演出)

17日(水)
ディドロ「ラモーの甥」OFF(M.ミラモン、J.レスペール演出・主演)
シェイクスピア「東のハムレット」OFF(ユンゴー・ウォン演出)
コルテス「森の直前の夜」OFF(クリストフ・ラパラ演出・主演)
シェイクスピア「マクベスの悲劇」IN(カミーユとモノロ演出)

18日(木)
「兵士の物語」OFF(クレ・ド・セーヌ2002)
シェイクスピア「真夏の夜の夢」OFF(カサリブス)
コルテス「西埠頭」OFF(アルテロンAPS)

 アヴィニョン演劇祭(7月5日から27日まで)に四日ほど顔を出し、11本の作品を観る事が出来た。非常に評判が高かった15日のチェーホフ「プラトー ノフ」が大雨のために中止になったことは返す返すも悔しい。IN(公式作品)のプログラムではやはり「ガリレイの生涯」と「マクベスの悲劇」が印象的で あった。前者は喜劇的な要素をふんだんに取り入れながらも、巨大な権力の前に自説を撤回せざるを得ないガリレイの翻弄され続ける人生を最後まで飽きさせる ことなく語る事に成功している。この悲喜劇的なガリレイを演じた主演俳優は特筆に価するだろう。装置に多少凝り過ぎという感じがしないでもなかったが、観 客は変化を続けて止まない舞台に引き込まれざるを得なかった。他方、後者は町の中心から2.5キロ離れた場所にテントを張った馬場での上演であるが、これ ほど馬を駆使し尽くした演劇というのはこれまで皆無だったのではないだろうか。単なる馬のショーに終わらずに、スペクタクルとして十分に成立している。演 技的には多少の問題があったが、場内を疾走する馬が全てを解消してしまうほどの迫力を持っていた。極めて印象的なマクベスであったと言えるだろう。
 OFFには語るに足る上演は少なかったが、コルテスの「森の直前の夜」だけは高い水準の演劇を披露してくれたと思う。




9月22日(日)ナタリー・サロート「彼女はそこにいる」「きれいだわ」
(ミシェル・ラスキン演出、アヴェス・パリ市立劇場)

  パリ市立劇場の小劇場での上演。昼間から怪しい界隈に突如出現する瀟洒な劇場。こういうところがパリである。さて、これはサロートの喜劇の小品の二本立て である。小説家というイメージの強いサロートであるが、劇作品もかなりの数を書いており、最近再び上演されるようになってきたようである。まず、最近気に なるのはとにかく音楽の使い方の下手さである。なぜ、突然、脈絡もなくロック音楽が劇場に反響するのか。演出の拙劣さをごまかそうとするこの手法にはいい 加減うんざりさせられる。それにしても、サロートの劇作家としての実力を、この上演だけで見極めることは出来ないだろう。軽妙な喜劇ではあるが、演技が硬 く、笑いを取るというところまで行っていなかった。




10月1日(月)ミシェル・ドイチュ「スキナー」
(アラン・フランソン演出、コリ−ヌ国立劇場)

  コリーヌ国立劇場の支配人であるフランソンとドイチュの芝居という豪華な組み合わせである。舞台は近未来と思しき都市の場末。そこに生息する人々、放浪す る旅人らの葛藤が描かれる。劇的展開はないが、観ている者はなぜか舞台に釘点けになる。観客が感情を移入する余地はないのだが、それがこの芝居の乾いた味 わいをより鋭いものにしている。大半は波止場の夜が舞台となり、照明は極度に押さえられている。近未来の世界の孤独、人々の渇ききった感情が上演時間のあ いだ、漂いつづける。装置は単純だが、幻惑的であり、かつ明晰で美しい。その意味を正確に感じ取るのは難しいが、極めて味わい深い舞台となった。

Michel Deuche(1948−)ストラスブール生まれの劇作家、詩人。1970年代からフーコー、バルト、ラカンらの影響を受け、劇言語の改革に着手する。当 初は「日常の演劇」の代表的な作家と見なされたが、その後離れ、ストラスブール国立劇場のJ.P.ヴァンサンのもとで集団制作に取り組む。バイイやラ ヴォーダン、哲学者のラクー・ラバルトとの共作など、様々な実験を続けている。

Alain Françcon(1945−)演出家。1971年に劇団テアトル・エクラテを設立。1979年以降、ミシェル・ヴィナヴェールMichel Vinaver(1927−)の作品を演出し続ける(1979年『労働と日々』、1983年『日常』、1986年『隣人たち』)。リヨン国立演劇センター 支配人、サヴォワ国立演劇センター支配人を経て、1996年からコリーヌ国立劇場の支配人に就任。





10月4日(金)サラ・ケイン「4時48分サイコキス」
(クロード・レジ演出、ブッフ・デュ・ノール)

《友への手紙》
2002年10月4日、ついにイザベル・ユペールの演技を直接この目で観ることが出来ました。彼女の演技は私の予想を遥かに上まわるものでした。作品は ≪4.48 Psychose≫。28歳で自殺したイギリスの劇作家、サラ・ケインの最後の作品です。ユペールは最初から最後まで舞台の中央に立ちつづけ ます。青いティーシャツに黒皮のズボン。スポットライトを当てられたユペールの後ろにはスクリーンが張られ、その裏側からもう一人の男が影だけの姿で時々 現れてはユペールに語りかけるという形式で、殆んどユペールの一人芝居と言ってもいい構成です。

 ユペールが最初の一言を発した時、私は全身に震えが走るのを感じました。それほど彼女の声は衝撃的でした。彼女は最初、たどたどしく語り始めます。それ を聴いて拍子抜けしている観客もいました。しかし、それがその後の激した瞬間の発声を準備する為に、絶妙に計算されたものであるということが分かってくる と、もう観客は静まり返ってユペールの声を聴くしかなくなるのです。これほど声の強弱に幅があり、これほど声に表現の幅がある女優はこの一年間芝居を観て きて一人もいませんでした。その差はあまりも大きいと思います。彼女は普通の女優の三倍から五倍の声の幅、そしてその表現の幅を持っていると断言できま す。

 また、ユペールが全身から漲らせているアウラのようなものも並大抵のものではありません。立っているだけでこれだけ観客の視線を釘付けにしてしまう女優 もそういるものではありません。私はこの芝居を観ている間、サラ・ベルナールやラシェルといった歴史の一部と化した大女優達の存在感はこのようなものだっ たのではないかと思いました。彼女は舞台の空気を完全に自分のものにしてしまいます。私は三階席の真正面の席でしたが、彼女がこちらを見た時の視線の鋭さ は形容のし様がありません。視線がまさに「飛んで来る」という風に感じるのです。

 作品自体は必ずしも気持ちのいいものではありません。精神を病んだ女性が語る自分の過去。数字への偏執。別れた男。去っていった友。薬とともに暮らす日 々。後ろから問いを投げかける男は精神科医なのか、過去の記憶が作り上げた亡霊なのか。彼の問いは一つも彼女の気持ちを休めるものでなく、むしろ彼女を果 てしのない螺旋階段の中に追い込むものでしかない。鬼気迫るユペールの演技は、そこで放たれる言葉がまさにこの作品を書いた直後に自ら命を絶った者の手に よるものなので単なる芝居とは到底なりえないのです。観客は演技とも狂気ともつかぬ空間の中に放り込まれざるを得ないのです。

 ユペールにとってもこの芝居はかなり危険な冒険であったと思います。一つ間違えば崩壊してもおかしくない、芝居とは呼べないものかもしれない。しかし考 えてみれば彼女は常にこのような危険な賭けに挑んで来たのだと思います。彼女は自分が楽な状態で演技が出来るような役を演じた事は一度もなかったと思いま す。二時間の間、殆んど休みなく語りつづけた彼女の姿に、私はユペールという女優の底知れぬ力を垣間見た気がします。

 今夜、コメディー・フランセーズでデュラスの「サヴァナ・ベイ」を観て、昨日の感想が間違っていないと確信しました。ここでは二人の女優が演じます。し かしその演技をユペールと比較すると、その強度の差はあまりにも歴然としています。彼女達は「これが芝居というものでしょう」という、誰もが安心の出来る 演技を披露することしか出来ないのです。芝居はたるみきっています。ここには演技の形骸しかない。これがそこそこの観客を集めているのです。私はこの劇場 から次代を担う女優は出現しようがないように感じました。イザベル・アジャーニはコメディ・フランセーズに二年しかいなかったわけですから何とも言えませ んが、ジャンヌ・バリバール(先日来、話題のエティエンヌ・バリバールの娘)がここを飛び出していったのは賢明だったと言うべきでしょう。

 とにかく、私にとってイザベル・ユペールを生で観る事が出来たことは、今後俳優の 演技を考える上で貴重な体験だったと思います。ユペールは私にとってただの女優で はなくなりました。彼女は常套の演技に常に揺さぶりをかけ、いつでも演技に「別のもの」を求めようとしています。現代には貴重な、本質を究めようとする求 道者と言えると思います。

Claude Régy(1923−)演出家。1950年代から独自の活動を続けている。60年代にはデュラス、65年代は英米演劇、70年代以降はペーター・ハント ケ、ボート・シュトラウスBotto Straus(1944−)などのドイツの劇作家の作品を演出。常に注目を集め続けている、現代の最も重要な演出家の一人。

Isabelle Huppert (1955-) 1970年代から活躍するフランスを代表する女優の一人。1970年代末から『勝手に逃げろ/人生』(1979)、『パッション』(1980)などのジャ ン=リュック・ゴダールJean-Luc Godard (1930-)監督作品に主演し、評価を確立。また、アメリカ映画『天国の門』(マイケル・チミノ監督)にも招かれて出演するなど、活躍の場を広げる。舞 台ではロバート・ウイルソンと組んだ『オーランドー』(1995)の他、近年ではエウリピデスの『メデイア』にも主演するなど、旺盛な活動を続けている。




≪補遺:2004年≫
3月19日(金)「最後の隊商宿(第一部 残酷な河)」
(アリア−ヌ・ムヌーシュキン演出太陽劇団、カルトゥシュリー)

第 一部、第二部を通してみれば6時間になるという太陽劇団の新作「最後の隊商宿」の第一部だけを観ることにした。ヴァンセンヌの森に六つの劇団が常駐する、 彼らの本拠地カルトゥシュリー(弾薬庫)での上演である。巨大な弾薬庫内に設置された舞台と階段上の客席。さすがに太陽劇団の新作の上演とあって、劇場は 連日満席の模様である。

ムヌーシュキンは今回の作品に「オデュセイア」という副題をつけた。戦争の為に自分の国を追われ帰ることが出来ない人々。ホメロスの時代から現代まで、こ うした人々は変わらず存在している。ムヌーシュキンは現代のアフガニスタン、イラン、イラク、クルド人自治区を舞台に彼らを襲った運命を舞台上から観客に 突きつけてくる。彼らの運命はそれを見る我々観客とは無縁のものなのか。我々は何者なのか。傍観者なのか。証言者なのか。いかなる観客もこうした問いから 逃れることは出来ないだろう。一見、寓話のように綴られる様々な逸話はしかしリアルなもので、時に眼を背けたくほど残酷なものである。こうした雑多な逸話 を紡ぎあわせ、ムヌーシュキンは簡素ながら確実な作品へと仕上げることに成功した。「1789年」の頃のように、複数の舞台で同時に上演をするというよう な派手な仕掛けはここにはないが、それでもこの作品は圧倒的な重量感を持っている。現代世界から眼を背けることのないムヌーシュキンの演出家としての力量 は、今も全く衰えることがないという印象を残した。



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